毅然とし、それとなく。

気まぐれでありつつ適当に書き記す。

【東方小説】東方刻奇跡 34話「紫の誘い」

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 どうして。
 その言葉ばかりが脳裏を支配していた。
 早苗は一目散に妖怪の山を駆け下りて、どこかも分からない森の中を歩き続けている。
 太陽は既に落ちて、淡い月光が早苗を照らしていた。その空虚な瞳には、欠けた月が映されていた。
 私は今まで何のために行動を起こしてきたのか。黒幕は私自身だったのに、それに気がつくことなくたくさんの人を傷つけてしまった。八雲紫の言葉は何も間違いではなかったのだ。考えてみれば、彼女こそ最も幻想郷を愛していると言っても良い。そんな彼女の言うことだから、間違いだと考えること自体が異様である。
 だが――理由も無く消えることを受け入れろというのもまた、早苗には出来ないことであった。また仮にこの現象を八雲紫から直接説明されたとしても、聞く耳を持たなかったであろう。
 敢えて理由を説明しなかったのは、彼女なりの慈悲であったのだろうか。分かるはずもなかった。
 消えてなくなりたい、と早苗は思った。こんな状態の早苗が存在しても、周囲の人間たちを不幸にしてしまうだけだった。
 もう魔理沙の元へ帰ることも出来ない。これから一体どうすればいいのだろう。神奈子と諏訪子に縋りつきたい。しかし、それももう出来なかった。
 確かに早苗の行動の賜物で二柱は姿かたちを取り戻すことが出来たが、近くにいればまたそれを奪ってしまうことになる。会えるのに、会えない。ジレンマであった。
 早苗はこれから永遠に、この暗闇の森の中を彷徨い続けるしかなかった。
 誰にも気付かれず、静かに幻想郷の宵闇に溶け込んで――



 いくはずだった。
 次の瞬間に、何かの術中にはまった気配がした。
 瞬きをすると、視界は夜空のように小さな光たちが輝く空間へと変貌し、足元がガラスのように透き通っていた。
 この感覚――どうやら、まんまと八雲紫の張った結界に入り込んでしまったようだ。
 声が響く。

 ――どうやら、真実を知ってしまったようね。出来ることなら、苦しまずに消してあげたかったのだけれど……ま、時間の問題だったわね。

 予想は的中した。八雲紫の声が脳裏に響くと、早苗は奥歯をかみ締めた。
 悔しかった。だが今更抵抗する気も起きない。一思いに存在を消し去って欲しかった。

 ――この結界の中に入った以上、あなたはもう消え去るしかない。さあ、進みなさいな。これからあなたが見るものは、私のせめての慈悲ですわ。

 何も無い空間からガラス状で正方形の床が現れ、一本道を描いていった。その先は、眩しくて分からない。
 紫はこれから起きることを慈悲、と言った。どうやら、早苗が意図的にこの異変を起こしたのではないことは理解しているようだった。
 ならば、原因は?こうなるまでに至った、原因は?彼女ならば、理解出来ていてもおかしくはない。
 歩を進めることなく躊躇していると、紫の声が再び響いた。

 ――どうしたのかしら?それとも、今すぐここで消してあげましょうか?

「いえ、すみません……せめて最期に、教えて欲しいんです。……どうして私の身体がこうなってしまったのかを。あなたなら、もう調査はついているのではないのですか……?」
 どこから聞こえるかもわからない声に、早苗は上空を見上げながら答えた。

 ――……そんなことが分かっていれば、私ももっと別な手を打っていますわ。調べようとする度に、あなたの暴走した奇跡に妨害されて、結果こんな有様になるまで放置することになってしまったの。情けない話ですわ。

 それを聞いた早苗は俯き、下唇をかみ締めた。何も分からないまま消えてしまうのか。とはいえ、もう躊躇っている暇はない。このままでは幻想郷はいずれ滅んでしまう。死を受け入れるしかなかった。
 でもせめて、最期に紫の慈悲に肩を寄せたい――心のゆくままに。それくらい許されるよね。
「……あなたの慈悲を、頂戴します。ありがとうございました」
 そう言って早苗は、ゆっくりと前に進み始めた。これから見るものは、幸せなものかもしれない。しかし、その先に待つのは絶対的な死だ。
 であったとしても、もう引き返すことなど出来ない。何故なら、早苗はもう生きてはいけない存在だから。
 涙は流れない。涙はとうの昔に枯れ果てていた。
 光へと足を進めると、風が吹き込んできた。その風が儚く哭いているような気がして、まるで早苗の代わりの様に感じた。
 自分の力として幾度となく利用してきた風を全身で受け止めながら、早苗は光の中へ歩んでいった。






 ……。
 ……なえ。
 誰かが私を呼んでるような気がする。誰だろう。小さい少女そのままの声なのに、どこか威厳のある――……そう、洩矢諏訪子だ。
「早苗っ!」
 その掛け声で早苗の意識は鮮明になった。澄み渡る青空と光り輝く太陽、生い茂る森林が眼に焼きつく。どうやら、諏訪子に介抱されていたようで、早苗の肌と服が泥だらけになっているのが見てわかった。更に視線を左へ飛ばすと、見晴らしの良い崖に立つ神奈子の後ろ姿が見えた。
 どこか既視感がある。今は、何時?ここは、何処?
 諏訪子が早苗に触れても何も起こらないことを見る限り、少なくとも『今』ではない。
 介抱する諏訪子。凛とした神奈子の後ろ姿。泥だらけの身体。不思議な既視感。
 間違いない。ここにいるのは――幻想入りをした直後の早苗たちだ。そして、今地に足をつけて立っている『幻想郷』は、早苗たちが幻想入りしたばかりの頃の幻想郷。
 八雲紫の言う『慈悲』という意味を、実感することによって正確に理解した。
 早苗はこれから起こること……神奈子たちが起こそうとしていることがなんたるかを知っている。紫はそれを今一度見せようとしているのだろう。覚悟は既に出来ている。
 早苗が諏訪子の手を借りながらゆっくりと立ち上がると、神奈子が踵を返してこちらへ振り向いた。そして、毅然とした笑みを浮かべながら告げた。
「さあ――暴れるぞ!」
 そうして早苗たちは、異変を起こした。自らの未来のために。居場所を創り出すために。ここにいることを証明するために。
 早苗は、神奈子や諏訪子に指示された通りに、博麗神社に赴き、博麗の巫女と対峙した。全てはお二方の仰るままに。
 戦い、闘い、傷つき、苦しみ、諦めたくなった。だが、早苗は二柱の望むままに行動してみせた。私がお二方の支えになるんだ、という強い意志があったからだ。
 ――それでも、届かない。守矢神社は……早苗は敗北した。山を登り詰めた博麗の巫女の猛攻を防ぐことなど出来るはずもなかった。
 ボロボロになった巫女装束を身に纏いながら、早苗は月夜に煌く弾幕の光を眺めていた。
 神奈子と博麗の巫女との闘いに、今しがた決着がついたようだ。
 敗北を確信した早苗は、急に身体中から力が抜けていくのを感じ、そのまま身を聳え立つ御柱に預け、へたりと座り込んだ。
 ああ、負けちゃったんだなあ。私たち。何度やっても霊夢さんには勝てないや。後で神奈子様と諏訪子様に謝らなくちゃ。お力になれず、申し訳ありません、って……。
 俯きながらそんなことを考えていると、目の前の地面に人影が映りこんだ。そのまま視線を上げると、諏訪子がそこに立っていた。
「あ……諏訪子様……申し訳ありません……失敗しちゃいましたね。私がもう少しちゃんと……お二方を支えることが出来れば……」
 それを聞いた諏訪子は膝をつくと、座り込む早苗と同じ高さの状態で語りかけてきた。
「もういいよ、早苗……」
 諏訪子が瞳に涙を溜めながら静かに、それでいて悲痛に告げた。
「ずっと思っていたんだ。お前は、私たちに頼りすぎているんじゃないか、自分だけの考え方や行動を見失っているんじゃないか、って……」
 ゆっくりと両手を早苗の両肩に置き、諏訪子は切なげな表情で告げた。どうしてそんなことを言うのか分からなかった。早苗が首を傾げていると、諏訪子が更に言葉を付け足した。
「大切な親友と別れさせてまで!こんなところに一緒に連れてくる必要はあったのかって……ずっと神奈子と話してたんだ。ただのなんでもない普通の女子学生として過ごしていく可能性だってあるはずだったのに……」
 言葉は、紡がれるごとに激しさを増していき、諏訪子の頬に涙が流れた。
「だから、もう頑張らなくていいんだ!!お前は……お前のやりたいように生きろ……!」
 そんな諏訪子の必死な言葉を聞いて、早苗ははっとなった。
 封印が解けてからはすっかり忘れていたことがあった。それは、神奈子と諏訪子という鳥籠から巣立つこと。
 早苗は、守矢という存在に余りにも縛られすぎていた。だからこそ、幻想入りしてしまったのだが――このままでは、世界を知らないまま鳥籠から抜け出すことなく一生を迎えることになる。
 それを危惧した諏訪子と神奈子は、異変が収束した後に早苗の背中を押し、幻想郷という世界へ送り出した。それからは異変を解決し、幻想郷の住民たちと会話し……やがて、いつの間にか馴染んでいたのだった。
 そんな大事なことを、今まで忘れてしまっていたなんて……私は、まだまだだな。
「……諏訪子様。有難うございます。忘れていたものを、取り戻せました。……私は、諦めません」
 立ち上がりながら毅然とそう告げると、諏訪子は微笑んだ。
 その懐かしく、恋しい微笑みは……光となって消滅した。動揺する必要は無い。紫の『慈悲』が終わりを告げたのだろう。
 そうして景色は、最初のガラスの床が張り巡らされた空間へと戻った。

 ――最期に良い夢は見られたかしら?

「えぇ。有難うございます。私は私が存在し続ける理由を再確認することが出来ました。残念ですが、ここで消えるわけにはいきません」
 上空を見上げ、力強く言葉を発した。

 ――どうやら、余計な知恵まで学習させてしまったようね。またあの蛇と蛙の為かしら?

 早苗はかぶりを振り、胸に手を当てて真っ直ぐな瞳で告げた。
「違う。お二方の為だけじゃない――私は、私の為に生きて……このおぞましい力を消し去ってみせる。だって、もっと世界を見続けたいから!!」

 ――でももう遅いわよ。あなたは既に抵抗することは出来ない。

「やってみなければ分からないでしょう?」
 術中にはまる直前とは真逆の、自信に満ちた表情を浮かべた。それを聞いた紫の声は、どこか憔悴し始めた気がした。

 ――おとなしく消えれば良いものを!守矢の風祝風情が!!

……私は守矢の風祝じゃない。ただの人間の!!東風谷早苗だッ!!!
 そう叫んだ瞬間。


 幻想的な空間に亀裂が走り――そう考えた時には、亀裂は大きな穴となった。そしてそこから現れたのは――霊夢魔理沙だった。
「うおおぉおおおおお――――――っ!!」
 魔理沙が叫ぶと、ミニ八卦炉から弾幕をあちこちへ放った。霊夢も同様に、札を突きつけた。霊夢魔理沙は、早苗を守るように横に並んで立った。
霊夢さん!魔理沙さん!無事だったんですね!!」
 早苗が笑いかけると、こちらを振り返った魔理沙は満面の笑みを浮かべて告げた。
「当たり前だ!この私が、そしてこの私が憧れた霊夢が、そう簡単に倒れるわけないだろ?」
 それを聞いて、早苗は胸を撫で下ろした。――もちろん、二人に触れたら一貫の終わりということは忘れてはいない。

 ――あなたたち、何をしているの!そこにいるのはやがて幻想郷を破壊する人間よ!!幻想郷より一人の人間を取るというの!?

 珍しく声を荒げている紫とは裏腹に、霊夢はいつもの軽い調子で告げる。
「あら、私たちは別に早苗を守るために来たんじゃないわ。あんたに文句を言いに来たのよ。よくも人の運命を湾曲させてくれたわねぇ?」

 ――くっ……おとなしく操られていればいいものを!

「……なんか、今のあんたはあんたらしくないわね。焦ってるのかしら?まあいいわ。とりあえず、腹いせに一発ぶっ飛ばせなさい!」
 そう言うと、霊夢魔理沙は一斉に弾幕を放ち始めた。霊夢の言うことがよく分かっていない早苗は混乱していると、魔理沙弾幕を放ちながら声をかけてきた。
「早苗!私たちは、エゴという言葉の意味を少しだけ履き違えていたのかもしれないな!確かに自分勝手に行動するのは間違いだ!あの時香霖堂で言った言葉を全て否定するわけじゃないが――でも、それで何もせずにいるのはもっと間違いなんだ!他人が他人を想ってこそ、道は開ける!それに、いちいち小難しいことで頭を抱えるなんてお前らしくねえよ!お前はお前らしく、常識を覆すような自由であれ!!」
 その魔理沙の言葉を聞いた瞬間、早苗の中に渦巻いていた蟠りが吹き飛んでいくのを感じた。
 常識を覆すような自由。そうだ。自分はいつだって自分のやりたいままにやってきたじゃないか。それもまた、さっきの諏訪子の言葉と重なる。束縛から解放され、やりたいままに生きてきたのが、東風谷早苗だ。
 きっと答えなんてない。だから、自分が出来ることを精一杯やるだけで良いんだ。
「行きなさい!早苗!!」
 霊夢が叫ぶ。早苗はそれに頷き、踵を返すと二人が侵入してきた穴から紫の結界を抜け出した。
 必ず、この異変は自分で解決してみせる。

******


早苗が結界を抜け出した途端、紫の作り出した空間が溶けるように消滅した。紫自身が解いたのだろう。次の瞬間、目の前に紫が現れた。
「余計なことをしてくれたわね……例え博麗の巫女といえど、これは叛逆とみなされるわよ」
 その言葉に霊夢は鼻で笑った。そんなこと知ったことか。私は私のやりたい通りにやるだけよ。
霊夢の勘がこうしろって言ってるんだからここは引き下がったほうがいいんじゃないか?」
 腰に手を当て、魔理沙が自信満々に告げる。ドヤ顔が地味に鬱陶しい。ていうかあんたが調子付いてどうするのよ――と突っ込みたかったが今はやめておいた。
「あら、あなたには分かるはずもないですわ。普通の人間である、あなたには」
 紫は何食わぬ顔で魔理沙に言い返す。魔理沙は苦虫を噛み潰したような顔をした。言われたくないことなのだろう。
 だが正直、その言葉は霊夢には理解しかねた。
魔理沙が普通とかあんたの眼は節穴なのかしら?普通の人間が、私たちと同レベルの闘いが出来るほどの努力を重ねてこられるとは思えないのだけれど?」
 一歩前に出て表情一つ変えずに霊夢はそう告げた。その背後で魔理沙は、霊夢に向けて輝いた眼と笑みをしていた。ああもう、そんな顔しないでよ。なんか照れるじゃない。
 そんな小さなやりとりを見ていた紫は苛立ちを露わにし、スキマをあちこちに出現させた。弾幕が来る。
「ふん。そんなことはどちらでもいい。それに――今逃してもどうせ東風谷早苗は彼女らによって跡形も無く消え去る」
 霊夢魔理沙は少しだけ驚愕の表情を浮かべた。まだ刺客が残っていたのか。心当たりがあるのか、魔理沙は大声で叫んだ。
「まさか、リグルのことか!いや、リグルだけじゃない……早苗だけが知っているであろう誰か……そいつのことなのか!?」
 紫は見下した表情のまま何も答えない。魔理沙は舌打ちした。
「落ち着きなさい魔理沙。あいつのことだから、きっと無事よ」
 もちろん確証はない。更に言うと適当だ。でも、なんとなく無事が気がした。それに今は目の前にいる紫をぶっ飛ばさないと気が済まない。
 最初のうちは少し憤怒の表情を露わにしていたが、やがて霊夢の勘を信じることにしたのか、魔理沙はゆっくりと落ち着いた。それを確認した霊夢は、紫と対峙して身構えた。遅れて魔理沙も。
「いいですわ。本気で相手をしてあげましょう」
 スキマが眼前に広がる。油断は出来ないようだ。
「そしてまた、私の駒となりなさい」
 そんな問いかけ、考えるまでもなく答えは決まっていた。霊夢魔理沙は、それぞれ片手で札と箒を紫に向けて、二人同時に叫んだ。
「「断る!!!」」



 ――さあ、弾幕遊戯の始まりだ。





To be continued…