【東方小説】東方刻奇跡 37話「光」
早苗は、幻想郷をあちこち走り回った。自分自身の因果を解くために。
かつて住んでいた場所も訪れた。それでも判らなかった。一体どうすればこの力を解放することが出来るのか。そもそも、自分の能力なのに扱いきれていないとは、なんとも風祝の名が廃る情けない話だった。
判らない。判らない。早苗は自分自身の才能を勘違いしていた可能性がある。思った以上に潜在的な力があったのかもしれない。ただ、それを制御出来ないだけなのだ。
「私が……もっと、強ければな……」
無意識にそう呟いた。全て、自分のせいなんだ。自分が初めから強くあればこんなことにはならなかったのに。――いや、過ぎたことを悔いても遅い。
諦めない、終わらせる。そう心に誓った。喩え答えが見つからなくても、最後の時まで。
再び歩み始めようとしたその瞬間。目の前に現れた存在を見て、早苗は驚くことになる。
「リグル……さん……?」
そう、あの時紫に連れ去られたリグルがそこにいた。しかし、霊夢やフランドールのような仮面はつけていない。まだ操られる前ということだろうか?だが、明らかに様子がおかしい。眼が虚ろなのだ。
「早苗。……人に裏切られる気分はどう?」
考えていると、リグルが口を開いた。その言葉は、彼女の心境を物語る哀愁が漂っていた。そして、早苗にはすぐその言葉の意図が判った。
リグルは人間に忌み嫌われ、想いを寄せていた者にすら裏切られた。早苗もまた、計らずとも人間の心の闇に触れ、嫌われた。
「判ったでしょ……?これでもう、人間なんていなくなるべきだって」
同じだと。自分たちは同じ被害者だと。そう言っているのだ。
「一緒に全部無くそう……?その力なら、どんなものも怖くないよ」
故に、気持ちが悪かった。簡単に諦め、這い上がらずに絶望し続けているリグルと自分を一緒にされるのが。
「……なんであなたと一緒にされなきゃならないんですか。気持ち悪い。それくらいで諦めて、何が妖怪ですか。私に比べればそんなもの――ただの甘えです」
リグルの誘いを、早苗は吐き捨てるように断った。不幸自慢をするつもりはなかった。だがそんなことを気にしていられないほど、心に渦巻く気持ち悪さは大きかった。
すると、まるでその回答を予測していたかのように、リグルは微笑んだ。
「やっぱり、あなたは人間ね。人間って、本当に判らない」
「それが人間ですから」
その早苗の返答に、リグルは頭上を見上げ、くっくと声を上げて笑い始めた。
「私ね、早苗……もうすぐ、私は私じゃなくなるの。本当に八雲紫の駒にされる。だから――」
ゆっくりと、早苗をまっすぐ見た。そして急激に早苗との距離を縮め、リグルは早苗の身体を掴んだ。
「だから!私でいられる間に、生命をあなたに捧げる!!幻想郷を破壊できる力を手に入れた、今のあなたに!!」
早苗は大きく眼を見開いた。
「んなッ……!!」
引き剥がそうともがくが、既に紫の術がかかっているのか、リグルの肉体は強靭になっていて、それは叶わなかった。
「これで終わる!!幻想郷が!!私を裏切った人間たちのいるこの世界がッ!!アハッアハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――」
リグルは涙を流しながら高笑いし、……やがて動かなくなった。掴まれた手の力が弱まったのを感じて、早苗は察した。
「……どうして」
無意識にそんな言葉を漏らしていた。これが彼女の望んだことなのか。そもそも、この力がどういうものかすら判っていないのに、どこにこんな早計な判断をする必要があったのか――。
目の前で、また死んだ。確かに彼女は、早苗とは全く反対の思想の持ち主であったが、生命まで奪う必要はどこにもなかった。
その涙の意味はなんだったのか。本当は人間が好きだったのではないか、それとも……。いくら考えても早苗には知る由もない。
彼女はこれを望んだ。それだけだ。早苗にはどうすることも出来ない。
早苗はゆっくりとリグルの遺体に触れ、微かに残った温もりを感じながらも埋葬した。
そういえば、霊夢と魔理沙はどうしてるだろう。答えは見つかっていないが、ふと彼女らが心配になった。行き場もないので、一度戻ってみることにした。
すると、早苗は身体に違和感を感じた。その違和感を振り払いつつ、霊夢たちのいる場所で歩き出した。
その違和感の正体を、早苗はすぐに知ることになる。
その頃、霊夢らと紫は。
向こうは紫と橙を召喚した藍の三人。こちらは霊夢、妖夢、パチュリー、美鈴。数はこちらが上だというのに、それでも互角の戦いが繰り広げられていた。
「全く……私と魔理沙との戦いでもまだ本気を出していなかったなんて……舐められたものだわ」
額に浮かぶ汗を拭いながら、霊夢はぽつりと呟いた。口ではそう言っているが、紫の強さは並大抵ではなかった。さすがの霊夢でも、少々余裕がなくなってきていた。
だが、こちらも限界が来たわけではない。この程度でそう簡単に折れてたまるものか。博麗の巫女は伊達ではない。――喩えそれが偽りの肩書きだとしても、これまでの戦いは紛れもない事実だ。
ならば全力で戦うことだけが今の霊夢に出来ることであった。とにかく一度紫の顔を殴らないと気が済まない。
どうする。どうすればあいつの懐に入り込めるだろう。戦力差があるのに、あいつには油断も隙もない。どうしたら――?
そんなことを考えていると、ふと紫がこっちに向かって弾幕を撃ってきた。それを避けつつ、徐々に距離を縮めていった。中々距離が埋まらないのは、霊夢の考えを見越した紫が一定の距離を保つように移動しているからだろう。
「くそッ……ちょこまかと!!」
苛立ちのあまり悪態をこぼしてしまった。その様子を見た紫が見下すように嗤う。それが余計に苛立ちを加速させた。
「あなたのやりたいことなんてすぐにわかるわ霊夢。おとなしく諦めなさいな」
紫が煽ってくる。すると少しだけ紫の視線が背後に逸れた。霊夢はその瞬間を逃さずに高速で移動する。紫はまんまと隙を突かれてしまった。
「なッ……しまった――!」
急速な勢いで距離を詰めた霊夢は、思い切り紫の顔に向けて右ストレートを直撃させた。抵抗することが出来ずそのまま吹き飛ばされ、背後の木に叩き付けられた。
それを見た藍と橙が一瞬動きを止めたが、すぐに行動を再開した。
「は――……すっきりした」
霊夢は一息つく。もちろんこれで終わりなわけがない。が、一矢報いることが出来ただけでも霊夢にとっては喜ばしいことだった。
そう考えていると、紫の様子がおかしいことに気がつく。視線が霊夢らではなく、森の奥深くに向いているのだ。
不審に思って、霊夢たちは紫と同じ方角を見た。――そこには。
「……早苗!?」
表情にどこか陰りのある早苗が、突然姿を現せた。妖夢、美鈴、パチュリーも同様に驚いていた。戻ってきたということは何かあったのか?だがあの様子では恐らく収穫はなさそうだが――。
「アンタ、なんで戻ってきたのよ!何かあったの!?」
霊夢の問いかけに、早苗はかぶりを振る。まさか……本当に『何も判らなかった』のか。ならどうすればいいのだ……。
苦い顔をしている霊夢を尻目に、紫は早苗を睨みつけた。
「その様子だと、無駄足だったようね。……もう手遅れになる前に消えてもらうわ!」
言葉を発すると、一気に弾幕を張り始めた。その弾幕の量は、早苗を四面楚歌状態にするには有り余るほどであった。こいつ……まだここまでの力があったなんて。いや、このためにわざと力を温存していたのか。
――この博麗の巫女に勝つ前提でいたとはな。いくら賢者、作った者とはいえ傲慢が過ぎる。
「イラつかせてくれるわね……」
再び湧き出た憤怒の感情に呼応するように声を漏らした霊夢は、次の瞬間嫌な予感が頭を過ぎった。思わず頭を抑え、膝をついた。
そんな中、妖夢が弾幕を弾き返そうと早苗の前に滑り込んで立ち往生していた。
「手遅れだなんてそんな勝手なこと――!」
剣を構え、妖夢は弾幕を弾き飛ばそうとする。あのままではまずい――『得体の知れない何か』が起こる。そんな予感が脳裏をかけめぐっていく。
「妖夢!死にたくなかったら今すぐ早苗から離れなさい!!」
頭を抑えつつ、霊夢は反射的に怒号を放っていた。その声に反応した妖夢は、動いていたところを急停止しようとした。
するとすぐに霊夢の勘は的中し――背後からの急激な強い風圧により妖夢は吹き飛ばされた。幸い体勢を立て直せた妖夢だが、その表情は驚愕に満ちていた。
何故か。その風圧の発生源に問題があった。
それは、妖夢の背後にいた早苗。早苗の身体中から強い風が噴出していた。
霊夢も、もちろん紫も、そこにいる全員が異常に驚かざるを得なかった。だが、ここにいる面子の中で一番驚いていたのは誰でもない、発生源である早苗自身であった。
なんだ、これは?
身体中が焼けるように熱く、痛みすら覚える。そして、人を容易に吹き飛ばせるほどの風。なんなんだ、これは?
早苗は自らの身体を抱き、その場にしゃがんでうずくまった。あまりの唐突な異変に、思考が追いつかない。――その瞬間、脳裏におぞましい化け物の姿が過ぎった。
そして、早苗の身体は豹変を始めた。肌の色が黒々しくなり、皮膚が硬くなっていくのを感じ取った。そして身体は巨大化していき、あちこちに角が生え、骨の髄まで変化していることは明らかであった。痛みはない。これも溜め込んだ力によるものか。
やがて身体の変化は止み――早苗のその姿は、ついさっき脳裏で見た化け物そのものになっていた。
あ、あ……あ……!?
声を出そうとしたが、出てこない。驚きのあまり声が出ないのか。いや、もう既に人間の声を出せなくなっていた。そう驚愕するとともに、理解した。
早苗はこれまで膨大な量の力を身体に蓄積してきた。その有り余るほどの力に早苗自身の身体が耐え切れなくなり、豹変を始めたのだ。秘められた内なる力は、それほどまでに強大であった。
これでどれほど力を溜め込もうとも早苗という器が溢れることはなくなった。
「なに、これは……!?」
美鈴が絶句する。その隣で、パチュリーが額に汗を浮かばせながら思考を巡らせていた。
「恐らく――彼女の身体が耐えられなくなったんじゃないかしら。力を溜め込みすぎたせいで限界の来た身体を更に強化して、器を大きくした」
その場にいる全員が息を飲んだ。さすが魔法使いというだけあって、分析力と観察力が優れている。早苗がついさっき感じ取ったことをそのまま読んだ。
「そんな感じがするわね――でも、それだけじゃないような気がするわ。もう時間が無いような予感がする」
パチュリーの分析に、霊夢が直感で補足した。霊夢が言うなら、ほぼ確定で考えていいだろう。もうすぐでこの奇跡は完成する。してしまうのだ。
そんな、そんなこと……やられてたまるか!!
「どうしたらいいのよ、これ……このままじゃ、早苗も、幻想郷もッ!!!」
妖夢が涙目になりながら叫び、化け物に近づく。そして微笑みながら語りかけてきた。
「ねえ、早苗……元に戻ってよ……奇跡ならなんでも叶えられるんでしょ……?」
その笑みは震え、今にも掻き消えそうなものであった。それを見た早苗は妖夢に笑いかけようとした。
すると。
化け物が、動いて。
妖夢の腹部に向けて、
右腕を――
貫いて?
唐突に襲われた妖夢は、口から血を吐いて倒れるのが見えた。
今、誰が妖夢を襲った?化け物だ。今いる化け物とは誰だ?早苗――自分自身だ。早苗が妖夢を襲った?何故?
化け物が自分だと信じることが出来ず、感覚を感じ取るのが遅れてしまった。早苗は、徐々に自分がしでかしたことを理解していった。
あまりの出来事に、早苗は声を上げた。化け物も声を上げた。この化け物が本当に自分なのか、未だに感覚が判らない。判りたくもない。今の早苗の悲痛な叫びは、ただの化け物の雄叫びにしかならなかった。
違う。私じゃない。私だけど、私じゃない。身体が、勝手に――!
それを伝えることすらも出来ない。
「とうとう本性を現したようね。この為に親しい者すらも騙すのか――化け物が!!」
紫が叫ぶ。霊夢たちは倒れる妖夢を見ながら狼狽していた。
「早苗……まさか、そんな……あんたのこと信じていたのに……!!」
霊夢が心底失望したといった様子で告げた。美鈴、パチュリーも同様だった。
「もう何も言う必要はないわ、霊夢。どうせ聞く耳を持っていない」
「……そうね。――こうなってほしくなかったのに」
苦い顔をしながら、霊夢は早苗に向かって身構えた。他の者も続く。
違う、違うんだ。私じゃ、私じゃない、のに――!!
再び早苗は雄叫びをあげた。それを皮切りに、状況が異なるが再び弾幕勝負が始まった。
意識が遠のいていく。化け物の身体は、完全に――奇跡という力の集合意識というべきだろうか――『早苗ではない別の何か』によって制御され始めた。
声が聞こえる。
『早苗――』
この声は、聞き慣れているけれど、どこか懐かしいもの。神奈子と諏訪子が早苗を呼ぶ声だ。
『早苗は、幻想郷を滅亡させたかったのか?』
神奈子の声が問いかけてくる。そんなの、決まっている。
「滅亡なんて……そんなこと、するわけないじゃないですか。ここの人たちはみんな良い人ばかりで、だからここまで来れたんですから。みんなの助けが無かったら、今頃私は――」
紫に消されていただろう。ほぼ間違いなく。でもそうはならなかった。
「それもこれも、色んな方々が協力してくれたおかげなんです」
『じゃあ、お前は幻想郷が好きなのか?』
今度は諏訪子の問いかけが耳に響く。言うまでもないが、はっきりと告げる。
「大好きです。私は、神奈子様がいて、諏訪子様がいて、霊夢さんがいて、魔理沙さんがいて――みんなみんな、みんなが生きているこの幻想郷が、とっても大好きです」
この気持ちは変わらない。喩え何年経とうとも、この身が朽ちようとも。
「そうですね――私は、滅亡なんかよりも、むしろ幻想郷を癒してあげたいと……そう思います」
更に付け加えると、二人の微笑む声が聴こえた気がした。
『それなら良いんだ。――ありがとう、早苗。がんばったね』
神奈子が言う。
『もう良いんだよ。お前が十分にやった。がんばったんだ』
諏訪子が言う。
なんだかひどく久しぶりに労いを貰ったような気がして、ふと涙が流れた。
これは幻覚?幻聴?夢?それとも現実?判らない。判らないが、今の早苗にはどうでも良かった。
ただ、『がんばったね』とそう言ってもらえただけで、嬉しかったのだ。
すると……身体中が暖かい温もりで包まれた気がした。
その温もりを感じ取る暇もなく――早苗の意識は急速に戻された。
眼前には、絶望。さっきまで相対していた者たちが血を流し倒れていた。あの霊夢や紫ですらも。
な、なん、こんな……!!
早苗は絶句した。意識が飛んでいる間にどうしてこんなことに。それほどまでにこの化け物の力は強大だった。
動揺する間もなく、早苗は得体の知れない感覚に襲われた。
この感覚――まさか、奇跡が完成しようとしているのか。
こうなってはもう、本当に止める術がない。何も出来なかった。
脳裏には、走馬灯のように思い出が過ぎ去っていく。思えば誰も救えず、力になれなかった。どうしてここまで空回りしてしまったのか。そもそも、どうしてこんなことに。どうして。どうして。
私は、ただ。
――ただ幻想郷が、大好きなだけなのに――
そう思った瞬間。辺りに眩い光が放たれた。
そして意識が戻る直前に感じたものと同じ温もりが、早苗の身体中を包んだ。それは早苗だけに留まらず、その場にいる全員を包み、森へ、世界へと広がっていく。
え……?
早苗は、今の状況が理解出来なかった。
To be continued…
あとがき
実に数ヶ月ぶりの更新。とうとう次回で終わりです。
早苗の因果を終わらせるために。